The King with Donkey Ears

ドラマ視聴素人の感想置き場。自分のために書いてます。

【ネタバレ】なぜ「おしん」佐賀編は凄まじく辛いのか

●なぜ「おしん」佐賀編は凄まじく辛いのか

苦労と辛抱の連続である「おしん」において、
もっとも苦しく救いがない、見ていて辛いと言われているのが全297回中、第117回から始まる佐賀編だ。
(正確に言えば、天国から地獄に転落するのは第114回で描写される関東大震災以降である)

佐賀編の前にはもっぱら『地獄の』がつき、
それだけで、見たことのない人にとって、
地獄の佐賀編は、そんなに恐ろしいものなのかと
恐怖の念を抱かせる。


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また、おしんの夫である竜三の母親、すなわちおしんにとっては姑にあたる田倉清(きよ)は、
『朝ドラ史上最強の姑』だと、
昔から言い伝えられてきた。
実際そうだと、佐賀編全て視聴済の私も思う。


本放送時には、そのあまりの情け容赦ない展開に
佐賀のイメージが著しく低下し、当時の佐賀県知事からNHKに要望書が寄せられたほどだ。
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では、「佐賀編」のいったい何が、
それほど見るのが辛いのだろうか。
『史上最強の姑』清のおしんへのイビりは、
それほど想像を絶するものなのだろうか。


いや、そうではない。そうではないのだ。
単に鬼姑が嫁であるおしんをイビるだけの展開ならば、
ここまで語り継がれるほどの
『地獄』ではなかっただろう。

地獄の佐賀編の本質は、もっと別にあるのである。

●なぜそこまで辛いのか

佐賀編は、基本的に救いはない。
おしんに味方もいない。

ただひたすら、淡々とおしんの心身が
ガリガリと削られていくのを、
視聴者は見ていることしかできない。


そもそも佐賀に来るきっかけからして最悪だった。
竜三は父親の大五郎から多額の金を借り、
新しい縫製工場を建設する。
しかし、大正12年9月1日に起きた関東大震災により、
住む家も、その新しい工場も、そして理解者であった源右衛門すらも失ってしまうのである。

心身ともに疲れきった竜三は、嫌がるおしんを説得し、妻子共々佐賀の実家に転がり込むことになるのだが、
なんと大五郎は、清や長男の福太郎(家督を継いでいる)に黙って家から金を持ち出し、それを竜三に融通したというのだ。
元々実家から独立する際に三男である竜三に財産分けしていた上に、新しい工場を立てる金すら、無駄にしてしまったのである。

これでは心証がいいわけがなく、
竜三とおしんはスタート地点からしてマイナスだった。


とはいえ、清は最初からおしん
全力で辛く当たっていたわけではない。

いや、傷つき弱って、姑に慄いていたおしんにとっては
十分殺傷能力の高い小言や嫌味ばかりであったが、
少なくとも清からは、おしんを叩き出してやろうという完全な悪意はない。

田倉の嫁として相応しい人間になること、
長男である福太郎を立て、佐賀のしきたりに従うこと、
これを遵守させるために、
自分が悪者になればいいから言っている、つもりなのだ。

おそらく、ポンポン口から出てくる嫌味や皮肉は
清にとってはほとんど悪意はない。
まず、ここがタチの悪いところなのである。


一方、おしんはただでさえ見知らぬ土地で
生きていかなくてはならないのに、
清の悪意なき嫌味を受け流すことができない、
まともに受け止めてしまう。
そしてじわじわと精神を削られていくのである。

せめて、自分の田倉家での存在価値を見出だせれば
おしんの精神も安定するのだが、
佐賀にある独特の「しきたり」がそれを許さない。

台所も針仕事も長男の嫁がすることであり、
三男の嫁は手をつけてはいけないのだ。

これまで加賀屋やたかの店で自分の実力を披露し、
存在価値を認めさせてきたおしんは、
得意なやり方を完全に封印されてしまった。

また、石鹸などの日用品を入手するための費用は
全て清に頼んで出してもらわなくてはならないようになっていて、清におびえているおしんにとっては、
常にストレスを感じる環境が、
完全に出来上がってしまったのである。


おしんの性質

それでも、おしんが清からの小言や嫌味を
ひたすら我慢して生きていくだけなら、
まだ『渡る世間は鬼ばかり』の嫁と姑である
五月とキミ程度の辛さで済んだ。
しかし、佐賀編において、視聴するのが辛い要因はそこではない。

おしんもまた、言ってはならないことを
ぽろっと言ってしまう、悪意なく相手の地雷を踏んでしまう難儀な性質を持っていたことが、
事態をさらに悪化させてしまうのだ。

畑の開墾を仕事として割り振られた竜三とおしん
作男の耕造、そしてその妻の佐和と仲が良くなるのだが、
家に帰ったとき清に「佐和とは口をきくな」と言われ
「とてもいい人だ、女郎のなにが悪いのか」と答えてしまう。
おそらくずっと気を張りつめていたのが、
優しく美しい佐和と出会い
ふっとゆるんでしまったのだろう。

それだけならまだいい。
佐和に日本髪を結ってやり、村で噂になったのを聞きつけた清に注意されたとき
「私、髪結いに行きます!少しでもお金がもらえるんだったら行かせて下さい!畑してるよりもずっといいお金になると思います!」
と返してしまうのだ。

チョンボである。
喧嘩を売っているとしか思えない言いぐさである。


まず、当時では髪結いというのは賤業であった。
そんな髪結いの地位を向上するために、
当時数々の美髪学校が設立されたのだ。
しかし、田舎では賤業の印象は
長年拭えなかっただろうし、
田倉の嫁がそんな賤業をして小遣い稼ぎをすることは、家の恥になってしまうのである。


賤業抜きにしても、三男の嫁であるおしん
髪結いをして金を稼ぐということは、
すなわち「本家が嫁に金を十分に与えてない」と知らしめるようなもので、
恥を知らせ回ることに他ならない。

それだけでない、清と福太郎は
竜三とおしんを家に置く代わりに義務として
畑の開墾を命じたわけで、
「畑してるよりもずっと
いいお金になると思います!」
と言ってしまえば、その義務を拒否していることと同義なのだ。

金を稼ぐために合理化された考え方のおしんと、
まずしきたりと昔からの風習を優先する清とでは、
価値観や考え方の違いが明白であり、
その溝はおいそれと埋まるようなものではない。

そのことがイビりの激化と悲劇の誘発を促していく。

佐賀編が辛い理由は、
どちらも正しく、そしてどちらも
正しくないからである。

ボタンの掛け違いが少しずつ起きて、
とんでもない悲劇となってしまったのだ。

●『地獄の佐賀編』で起きた悲劇たち

佐賀編で起きた悲劇は3つあり、どれも
救いを探して見ている視聴者の気持ちを
どん底に突き落とす。

ざっと概要を見てみよう。



1.佐和の裏切り(第126回)

女郎から身請けしてもらい
耕造に嫁にいった佐和と、
地主の息子に嫁にいった小作の娘おしん
お互い姑にいびられていたこともあり、相談相手として親交を深めていく。

やがて竜三とも険悪になり、田倉家で孤立していたおしん
大正13年の正月に年賀状で師匠たかから
髪結いの店を3月に再開するとの知らせを聞き、
佐賀からの出奔を決意する。

同じころ、姑からのイビりに限界を感じていた佐和が身投げし、見かねたおしんは佐和に汽車賃を渡し、一緒に逃げようと持ちかける。
お人好しのおしんらしい行動であった。

しかし、直前で佐和はおしんの身を案じ
竜三に計画を漏らしてしまうのだ。

当然、竜三はおしん(と雄)を連れ戻しに来て、
おしんは再びあの家に戻ることになる。


夫である竜三がいまいち役に立たないなか、
佐賀編で唯一の味方だと思って見ていた佐和が
おしんを裏切ったことはとても衝撃的で、
この世界に救いはないのか、と絶望を感じたのは言うまでもない。

しかも、2回裏切るのである。
自分はちゃっかり逃亡成功するのである。

おいおい、耕造はあんたの身請けのために
田畑売って作男に落ちぶれたんだぞ。
わかってんのかよ。

なんて女だろうか。
悪い人ではないだけに始末におえない。
(佐賀編で一番の被害者は、おしんでも竜三でも清でもなく、耕造かもしれない)


また、連れ戻しに来た竜三と揉み合いになり
おしんが大怪我をしてしまったことが、
さらなる悲劇を呼ぶのである。

2.右手が不自由になる(第126回~131回)

竜三ともみあいになり、予期せぬ大怪我を負ってしまったおしんは、
その怪我が完治したあとも後遺症に悩まされる。

右手が思うように動かないのである。

料理も、針仕事も、右手で箸を持って
ご飯を食べることすらままならない。
これまでおしんが培っていたスキル全てを失ったのだ。


個人的には、このくだりが一番見ていて
きついものがあった。

あんなに有能だったおしんが、
いざ台所にたたされたとき失敗ばかりを連発し、
皿を何枚も割り、不格好な食べ方で食事をし、
そのたびに清に嫌味を言われる。

共感性羞恥とも言うべきものなのか、
それとも、かつてあんなに
生き生きしていたおしん
こんなみじめな姿になってしまったことへの絶望なのかどちらかはわからないが、
とにかく直視するのも憚れるような、
そんな辛い展開だった。
いたたまれないとはこのことだ。

自分は、いったい何を見ているのだろう、

なぜこんな光景を見なければならないのだろう。

なんだかとても悲しい気持ちになり、
橋田壽賀子は鬼か何かなのか、と怒りさえ感じた。
(もっとも右手は数年後動くようになるので、
単に髪結い封印のためか、とのちのち脚本の都合を悟るのだが)

竜三がそのとき味方でなかったことも、
おしんにとっても、視聴者にとっても
絶望をさらに深めた。


3.長女の死産(第132回~144回)

佐和が直前で竜三に計画を漏らしたのは、
おしんが妊娠しているのに気づいたからである。

雄を連れ、しかも身重のおしん
女一人でどう暮らしていくというのか、
佐和はそこを危惧して竜三に知らせたのだ。
(余計なことしやがってという気持ちは否めないが)

やがて5ヶ月になり、おしんは腹帯を巻こうと
部屋で準備をするのだが、そこで竜三に見つかり、
妊娠の事実が露呈する。

ここで竜三との仲が一時的に修復し、
竜三が再び味方になったことは、
唯一の救いだったかもしれない。

竜三は相変わらず頼りないが、
おしんの笑顔が久しぶりに見られたし、
二人が寄り添って何とか生きていこうとする姿勢は感じられた。

しかし、佐賀には「1つの家に一度に2人がお産があるとどっちかの子供の欠く」という迷信があり、
清は実の娘である篤子と嫁のおしんの懐妊が
重なったことに不安を募らせていた。
おしんを山形に里帰りさせて子供を産ませるようにと
竜三に提案しても、竜三はそれを受け入れない。

ならばと清は佐賀のある小作の家にお願いし、
おしんが出産するまで預かってもらえるよう取り計らう。
清にとっては、最大の譲歩だったのだ。


佐賀内ならば竜三もすぐ会いに行けるし、
小作の家であらば、おしんを邪険には扱わないだろう。
ひそかに清とおしんの関係に心を痛め、
おしんに気をかけていた長男の嫁・恒子も、
清のその提案に安堵した。

しかし、おしんはそれを断固拒否してしまう。
そんな迷信は信じない、自分は田倉家の嫁なのだから田倉の家で産むと。

なんでやおしん!!


と叫んだのは自分だけではないはずだ。



案の定、そのことで激高した清は、
ますますおしんへの当たりを強くした。

また、おしんも意地を張り、
自分の母もそうやって来たんだからと、
ろくに食事もせず、カンカン照りの日も
雨の日も畑仕事をし続けた。

一時修復した竜三との仲も、
再び何となくギクシャクした。

それでもおしんは意地を貫き通した。

無事に子供さえ産めば、
迷信がただの迷信だと証明できれば、
いつかきっと田倉の嫁と認めてもらえると。
おしんはそう信じて辛抱してきたのだ。

そして耐えに耐えてついに臨月になったとき、
おしんに悲劇が起きた。



よくもまあ、ここまで残酷な展開を
考えつくものだと、もはや感心さえした。

いったいどんな顔をして書いたのか。
それを聞いてみたいものである。
鬼?鬼かなんかなの?

おしんが産褥熱で意識を失っているのに、
篤子の子が無事生まれたからといって
どんちゃん騒ぎをする清や、嬉しそうにする使用人つぎにも背筋が寒くなったし、

長女を死産で亡くし、気が触れたようになっているおしんに、
乳の出ない篤子の代わりに、おしんが篤子の子に乳をやればいいと思いつく清にも戦慄した。

倒れているおしんの口から泥水がこぼれ落ちたシーンとか、
焦点の定まらない目で虚ろに何処かを見ているおしんとか、

救いは、結局どこにもなかった。


ここまできて、やっとおしん
佐賀からの出奔を再び決意し、
恒子の助けもあり雄と共に佐賀を脱出するのである。


長い。長いよ。長すぎだよ。

視聴者も、きっとぐったりしたことだろう。

おしんは我慢と辛抱に自信があった、
いや過信しすぎたからこそ、
ここまで長引いてしまったのだろう。

辛かった。

おしんも絞り出すように言ってたけど、
見てるこっちもとても辛かった。

●悲劇はなぜ起きたのか

確かに、清のおしんへの当たりはどんどん強くなったし、やりすぎたのは確かだ。

特におしんが申し出を断ってからの
清の鬼っぷりは見ていられないレベルだった。
佐賀編初期には
「そんな前評判ほどでもないかなぁ」
と思いながら見ていたものも、

なるほど、これはひどいわ、きつすぎだわ
と思わざるを得なかった。

しかし、清の姑としての性質だけが、
これらの悲劇を引き起こしたのだろうか?

それは違う。
おしんと清の、女としての生き方や考え方の違いが、
ぶつかり合い、傷つけ合い、悲劇を引き起こしてしまったのだ。

清は、おそらく自らも若いころ
姑に同じようにきつく当たられ、苦労してきたのだろう。
清は、それと同じことをおしんにしただけなのだ。
「家」を守るため、自分より「家」や「伝統」を優先する。
それが清の考え方だ。

しかし、おしんは自ら金を稼いで生きてきた、
いわゆる自立心の高い女だった。

古いしきたりや常識にとらわれず、自分が納得できる、後悔しない生き方をしろと、俊作や加代や大奥様から言われてきた。

だから、「自分」を封じ込め、「家」や「しきたり」を優先する清の考えは理解できないし、我慢ができる道理はなかったのだ。

もし、おしんと清が意地を張らずに
二つの異なる考え方をお互い少しでも尊重できたら、
もしかしたら、違った結末になっていたのかもしれない。
二人は頑固すぎた、自分の生き方に
誇りと自信を持ちすぎたのである。

また、おしんと同じように
清に辛く当たられてきたであろう長男の嫁・恒子は、
おしんのような生き方もあるのだと、初めて知る。
そしてのちに、恒子は清に対して
ささやかな復讐を実行する。
「それ」は、とても恒子らしい復讐だったと思う。

●それでも佐賀編を見なければならない理由

とにかく救いのない佐賀編だが、
それでも「おしん」を見る上では、
避けて通ることはできない。

おしん」全体を通してのテーマである
『女の生き方』について
生々しく描ききっているところも理由のひとつ。

東京編が自立して働く女の生き方ならば、
佐賀編は自分より家のために伝統を守らんとする
女の生き方を描いていた。

そして異なる女の生き方がぶつかればどうなるかも。

初見だとただ辛いだけだった佐賀編も、
何度か見れば清の言い分にも
一理あると思うだろう。
そして、おしんの頑なさにも気づく。
その逆も然りである。

また、佐賀編での挫折や関係決裂や別離が
佐賀脱出以降のおしんの糧になり、
そして、後の竜三との再会と清との和解に繋がる。
この流れが特に秀逸なので、
プロローグである佐賀編も、一見の価値があるのである。


清によって破り捨てられたおしんからの手紙を
全て恒子が裏貼りして竜三に渡したくだりも
見ていて熱くなるものがあったし、(第166回)

清からの手紙をおしんと竜三が読む場面も
「やっと本当の意味で『佐賀編』が終わった」と感慨深かった。(第178回)

庄治から厄介払いされたふじを伊勢にひき止めるために
竜三が佐賀での夫婦の苦い過去を
口実として使ったところも素晴らしい話だった。(第180回)

そして何より、竜三が自決したあと
年老いた清が伊勢に初めて訪れたときのやりとりは
あれ以上の名場面はないのではないか、
とさえ思っている。

太平洋戦争編で、竜三の死を通して
橋田壽賀子が何を伝えたかったのか、

おしんと竜三の夫婦愛の深さや、
清がそれを認め感謝するところ、
佐賀編の全ての結末が、
この回に集約されてるのではとすら思った。(第219回)

もし佐賀編を飛ばしてしまったら、
これらの場面を100%味わうことは
きっとできないだろう。

それだけで、自分は佐賀編を
辛抱して見たかいがあると感じた。

●竜三という存在

清のいびりの強烈さはやりすぎであったが、
竜三の振る舞いもまた、嫁姑の軋轢の激化に
一役買ったのは間違いない。

彼の言動がおしんを傷つけ、孤独に陥れ、
おしんの判断力の低下を招いた。

一部では竜三は屑だとか役立たずだとかいう評判だそうだが、
その原因の約9割が佐賀編での振る舞いのせいだろう。

佐賀編での彼を擁護する気はない。
頑固者同士に挟まれ、竜三には竜三の地獄があったとは思うが、もっと他に身の振り方があったのではないか。
おしんにとっては佐賀は見知らぬ土地であり、
竜三しか頼る人はいなかったのだ。

彼は悪い奴ではない、むしろいい奴だと思う。
おしんが好きで、母親のことも慕っている。
ただ、素直すぎるところが
事を荒立てまくるのである。

しかし、佐賀編での情けない
三男坊の過去があってこそ
竜三がおしんと再び合流したときの感動が増す。
おしんほどの成長速度ではないが、
竜三もまた少しずつ成長していく。

おしん」は、夫婦の物語でもあるのだ。

●さいごに

ヒロインを演じた田中裕子さん、竜三を演じた並樹史朗さんの演技の凄まじさもさることながら、
やはり佐賀編に関しては清役の高森和子さんに
称賛を送る他ないと思う。

口元は笑っているのに笑っていない目、
佐賀弁をまくしたてネチネチと追いつめる台詞回し、
全てが嫌らしかった。

一方で、息子を案じる母親の一面や
後悔と罪悪感をにじませる表情も非常に巧みで
単なる絶対悪ではない存在の清を、
見事に体現していた。

とても大きく辛い役だったと思うが
ここまで演じきってくれた高森さんに
今さらながら感謝申し上げます。





●番外編
おしん」佐賀編見るに堪えないランキング

1位

おしんの右手が不自由になり失敗ばかりしてしまうシーン
※怪我した瞬間を含めるものとする
(きつい。きつすぎる。ミュートにして字幕視聴にしてもきつい。)

2位

ごーくつぶし!ごーくつぶし!と
意味のわかってない子供たちに無邪気に言われるシーン
(なんでこんな辛い展開を思い付くんだよ壽賀子!)

3位

うどん
(食べ物の恨みは恐ろしい。ぜんざい・ドジョウも恐ろしい。)

4位

耕造母や妹たちからの佐和への折檻シーン
(これもう「犬神家の一族」かなんかだろ)

5位

おしんが助けを呼ぶなか
竜三が医者を呼びに行ってしまうシーン
(おしんが後で清に怒られないように、と頑張った竜三が切ない)

6位

大五郎と竜三がおしんに長女の死産を伝えるシーン
(つらい。)

7位

おしんの口から泥水がこぼれおちるシーン
(田中裕子さんが北島マヤにみえた)

8位

おしんの気が触れるシーン
(こわい。乳が止まらないからと布を当ててて、
それを優しく取りかえてやる竜三が切ない。
もっと早く優しくしとけば、こんなおしんにならなかったんだよ!)

9位

佐和が竜三に計画を漏らすシーン
(裏切り者!)

おしんが竜三に連れ戻されたあと
佐和と会うのだが
そのときの佐和をにらみつける
おしんの目に注目してほしい。
明らかに殺意をひしひしと感じる、
恐ろしい目をしているのだ。
なんていう目をするんだ田中裕子…となった。

10位

清がおしんに聞こえるように
役立たずだの何だのというシーン
(おしんの表情がどんどんビクビクして怯えていくのがつらい)