The King with Donkey Ears

ドラマ視聴素人の感想置き場。自分のために書いてます。

高校教師 第2話

※おそらくこのドラマは数十回はゆうに見ているので、どうしても今後の展開を頭で思い浮かべながらの視聴となります。
よって、ネタバレをしている部分も出てきますが、そこはあまりにも有名な名作ドラマでありますから、

むしろ内容を知らない方がおかしい

という前提で感想を書こうと思っています。






ドラマの感想は、できるだけ
冷静に丁寧に書こうと努めているのですが、

2話の内容は、冷静な頭で
ありとあらゆる罵詈雑言を
藤村先生と羽村先生の婚約者に対して
積み上げる回となりました。

この作品は、もう十何回と見ているのですが、
例のシーンは、どうしても直視することができません。

そこまで精細に描写する必要があるのかと、
幾分かそのシーンの映像の生々しさと
その行為そのものへの苛立ちと、
見ていて胸の中に閉塞感が渦巻き、
チクチクとした息苦しさを感じます。

その後、直が学校を休んだという話題になり、
藤村先生が夜遊びして朝帰り云々と言い出したときは、さすがに私といたしましても

はぁ?てめえのせいだろが!
このゲス野郎が!

と汚い言葉を吐くのを止められませんでした。



初見から視聴3周目までは、京本政樹さんは、
よくこんな役を引き受けたものだと、
一歩引いた目線に立って
定期的に小休憩と確認の作業を入れていました。

そうでもしないと、京本政樹さんのお姿を
よその媒体で拝見した際に
とてもじゃありませんが
平静でいられないと思ったからです。


藤村先生の鬼畜行為は2話がピークではなく、
今後もとてつもない鬼畜生の限りを尽くすことは分かっているので、
それを考えると、いささか憂鬱ですね。


羽村先生の婚約者もひどいですね。
羽村先生の尊厳を貶めるような発言、そして行動。
それをよりにもよって繭に向かって
「分かるでしょ?」というようなニュアンスを含んで嘲笑するように言い放っていて、
私は見ていて、藤村先生のときと同じく、
やはりどす黒い罵詈雑言が
次々と頭の中で言語化されていきました。


…は???
はぁ????
何だこのクソ女は…!
黙れ!このビッチ女!!
このゲス女…許せん!!!



ただ、この直後に繭がこのクソ女を
エスカレーターから思いきり突き落としてくれるので、
少なくとも2話の段階では羽村先生の婚約者に対しての苛立ちと胸糞の悪さは、少し軽減されます。


2話を見ていて思ったのは、
演出のキレの良さです。


初回はまだ抑えめで繊細で、
儚い空気感を描写することに
注視されていたと思うのですが、
2話ではその世界観をさらに深く掘り下げて構築しつつ、
純粋な狂気と、閉塞感と、息苦しさと、生きづらさをむき出しにしてきたという印象を抱きました。

具体的に言いますと、先程申し上げた
繭と羽村先生の婚約者の場面と、
バスケ部部員に囲まれて、新しくバスケ部顧問となった羽村先生が腕立て伏せをする場面が交互に映されるのですが、

バスケ部部員たちが羽村先生の腕立て伏せの回数を
いーち、にー、さーん、と数える声が
あまりにも集団が団結して無機質で、
羽村先生に対してのこれっぽっちの気遣いも無いのが
ありありと見て取れます。

それは同時に、羽村先生の婚約者もまた、
羽村先生に対しての愛情がこれっぽっちも無いことを示唆していて、
このシーンもまた見ていて胸が苦しくなりました。
(だからこそ、繭がエスカレーターの上から婚約者を突き落としたことで溜飲を下げるのですが)

突き落としたあと、しばらくエスカレーターの
ゴトン、ゴトンという音を流したのも良かったです。

この頃のTBSドラマは、『ずっとあなたが好きだった』もそうでありましたが、
単なるインストや音楽だけでなく、
日常音とか、静寂もまた劇中音楽として
効果的に使っている印象があります。

沈黙を恐れない、そこは脚本の素晴らしさもさることながら
(静寂や沈黙も細かく指定して書かれているのかはわかりません)
演出の妙といいますか、そこもまた
本作の文学的な世界観を体現しているのではないでしょうか。


『高校教師』という作品において、
まず間違いなく名シーンの一つである、
と評されるであろう
繭の「ペンギンの話が聞きたい」の場面も、
沈黙を恐れずじっくりと尺を取って描いたからこそ、
繭の優しさと、羽村先生の清廉さに
見ているこちらの胸が熱くなり、
二人の関係性に、心を奪われるのであります。

藤村先生や、
バスケ部部員たちや、
羽村先生の婚約者の、
あまりにも純粋な狂気を見たあとに、

澄み切った青空のような、
まだ誰にも踏み荒らされていない新雪のような、
優しさと美しさと儚さと弱さを内包した空気感が漂う羽村先生と繭二人の交流全てが、
見ている私の心の奥に沁み込んでくるのです。



この作品は、禁断だとか、
過激な描写だとか設定だとかが多いのですが、
記憶に残るのはそこではなく、
そんな生きづらい世界で、もがき苦しみながらも、
必死に他人を思いやる人の優しさだったり、純粋さだったり、あたたかさ。



その反面、人間の脆さや弱さ、そして残酷さも
静かに描いています。

人間は紙一重で、狂気の世界に堕ちたり、
優しい世界に漂ったりしている。

そんな紙一重の儚さが、たまらなく好きで、
何度も見てしまうのかもしれません。


婚約者から、
(羽村は)いつもペンギンがどうだとか
退屈でつまらない話をしてくる。
セックスも幼稚だ。


と、羽村先生を慕う繭にとっては
とても聞き過ごす事のできない罵倒。

この人は、私が好きな羽村先生と結婚できるのに、
それなのに羽村先生を大切にしていない。
裏切っている、という現実への怒り。
繭の憤りが痛いほど伝わってきました。


そして、最後の公衆電話のシーン。

おそらく、エスカレーターから突き落としても
根本の問題の解決にはならない。
羽村先生は彼自身が知らないところで貶められ、騙され、
そして傷つけられている。
そして今後もそれは続く。


受話器の向こうから聞こえる
羽村先生の声を聞きながら、
繭はどうしようもないやるせなさと、
自分の無力さを自覚したと思うのです。


だからこそ、せめて3分間だけでも、
ペンギンの話を話す羽村先生を感じたいという思いやりのような感情と、
生き生きとペンギンの話をする羽村先生に、
自分の彼への好意を再認識し、
さらに強くしたのでしょう。


心配いらないよ、私がいるもん。
私が全部守ってあげるよ。
守ってあげる。


初回の冒頭のこのセリフが
早くも効いてくる展開で、
繭の生年に作られた10円玉の使い方といい、
コウテイペンギンの話といい、
脚本の展開の上手さに
いちいち息を呑む思いです。


3話は、いよいよレールの上をはみ出さず
平凡な人生を歩んできた羽村先生の頭が
ハンマーで思い切り殴られたかのような回。

真田さんの演技がまた、細かいところや息遣い、目線の運び方まで迫真なのです。
楽しみです。