The King with Donkey Ears

ドラマ視聴素人の感想置き場。自分のために書いてます。

普通の一日

最近めっきり夜は涼しくなって、季節の変わり目のようです。
風邪をひかないように気をつけないといけませんね。



文章力というのは、一度考え出すとなかなかの厄介な案件で、
こんなふうにブログを更新するとき、
自身のあまりの文章力のなさに
推敲している際、思わずため息が出ます。

冗長な割には何を言っているのか分かりにくく、
語彙力が圧倒的に足りない。

自身でもわかっているのに、それならどうすればいいか、
どこを改善したらいいのかわからない。
こればかりは、繰り返し本を読み語彙力を増やすか、
文章を紡ぐことを習慣として、その腕を磨いていく他ないと思っています。


文章力というのは、画力と似ているかもしれませんね。
どちらも表現したい感情や映像がぼんやりと浮かび、
それを文章か、絵として脳内から取り出して再現する。
自分の頭の中でだけ存在していたものが、生命としてこの世に生み出されるのです。

しかし、脳内で生み出された『それ』を取り出して、
この世界で100%再現できるかというと、必ずしもその作業はうまく行くわけではありません。
私に限っては、その半分も再現できていないことと思います。

自身のせっかちさと、作業を始めたとき異様にテンションが上がり、
全体を見渡しながら作業することができない性分だからでしょう。

結果として、脳内で生み出した『それ』とは違う
いびつな生命体が誕生することがしばしばです。

しかし、そのようないびつな生命体でも、
生み出したことに満足はしています。
どんなにいびつで偏っていても、そのときの私の脳内を表現した有体物であることは変わりなく、
読み返すたび見返すたびに、その当時の感情が数%でも甦るからです。

創作物(本やドラマや映画の類ですね)を受容するたび、
私はインターネット上で感想を検索します。
数多くの人の感想を読みふけり、そうだよなあと納得したり、
なるほどなあと感心したり、そんな考え方もあるのか、と感じ方の違いを知ることで
新たな世界を見た気分になるのです。

私がいびつな生命体であっても生み出したいのは、
そんな新たな世界のひとかけらになりたいかもしれません。


妄想にふけったり、本を読んだりドラマや映画を見て頭の中で感じたものを、
なんとか自分の頭の中から取り出し、この世界に同じ形状で生み出したい。
その時生まれた感情は、いずれ風に流される雲のように消え去ってしまいます。


今でも、たまに自分が書いたドラマ感想の文を読み返します。
読みづらい、主語も述語も滅茶苦茶な駄文ではありますが、
感情の温度や高ぶりが伝わってきて、これでもいいかなと思わされます。

結局のところ、それは自分がかつて生み出した生命体だから、
補正がかかるという部分もあるでしょうね。
他人が読んだときどう思うのか、それは読んだ他人が
感想を書き込んでくれないと知る由がありません。
だから、たまに他人から感想を書かれたときは
まるで自分の子供が褒められたかのような、天にものぼる気持ちになるのでしょう。



しかし、その一方で、完璧でわかりやすい文章を書けるようになりたい気持ちも変わりません。
完璧でわかりやすい文章を組み立てられる人間は、
きっと論理的に物事を整理し、冷静に自分を表現できる人だと思います。

そんな人に、なれたらいいなあ。